Actor 徳川家康と本田正信 #013 2022-04-03 Share Twitter Facebook Pinterest LinkedIn Tumblr Email actorNHK三谷幸喜俳優内野聖陽大河ドラマ大泉洋真田丸鎌倉殿の13人 Related Posts 山田裕貴『ジョーカー』から受けた影響を受けたこと、続編は“いつまでも考え続ける”作品 映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』インタビュー 2024-10-05 『今日から俺は!!』:賀来賢人と伊藤健太郎の爆笑コンビが80年代のヤンキー世界にタイムスリップ! #film #映画 #shorts 2024-10-04 嵐・松本潤と井上真央極秘入籍していた どこを探しても「結婚を発表した」というオフィシャル情報は載っていない…松本潤人気低迷の危機“ファン暴走”… 2024-10-04 川村壱馬、RIKU、吉野北人、アオイヤマダ、田中泯、ヴィム・ヴェンダース、役所広司、柄本時生、石川さゆり、三浦友和、川井田夏海、大塚剛央、津田健次郎 ほか/ 第36回 東京国際映画祭 レッドカーペット 2024-10-04 松下洸平「WEEKEND LIVING」第53回 2024年10月4日 2024-10-04 同時視聴 「名探偵ピカチュウ」(2019)◆金曜ロードショー◆2024.10.04◆映画《矢木めーこ/映画・Theatre Vtuber》 2024-10-04 23 Comments 坂本慎之助 2 years ago 新府城落武者が出るらしいね。20年前夜中に肝試しに行ったわ。 葛西 2 years ago どうする家康? 小野澤親 2 years ago 志村けんさんと高見沢俊彦さんが生まれたのはある意味では本多正信のお陰でもあります。志村けんさんの御先祖様は「志村又左衛門貞盈」と言って、武田四天王の一人だった山県昌景の右腕的家臣で、長篠の戦いで討ち死にした山県昌景の首を織田・徳川連合軍に奪われないように守りきりました。甲州征伐で武田家が滅亡した時に、山県昌景亡き後の山県家を代表して織田・徳川連合軍の元に降伏の使者として赴いたのが志村又左衛門貞盈で、その時に対応したのが本多正信でした。志村又左衛門貞盈は天正10年(1582年)4月より甲州九口之道筋奉行の一人になり、天正18年(1590年)の徳川家康の江戸への国替えに伴い八王子に移り、八王子千人同心の志村組の初代組頭になりました。高見沢俊彦さんの母方の御先祖様は江戸時代になってから志村組に加入しました。甲州九口之道筋奉行と八王子千人同心の創設にも本多正信が深く関わっていました。 ケンケン 2 years ago いい役者さんいいお芝居 taku taku 2 years ago 大殿さま〜!あ、これ龍馬伝じゃないのか😂 平知盛 2 years ago 山本勘助…北畠親房… よしきよしき 2 years ago 本田…?、本多。 かがみ純 2 years ago この情けない風情の家康も悪くない。今年の家康はさすがにぶっ飛びすぎだが yukibebe7 2 years ago 近藤正臣さんの演技は素晴らしい。台詞のないところでの何気ない所作 の素晴らしさ。本多正信という家康の右腕であり謀臣として食えない人物を見事に演じている。 takeda rento 2 years ago 本多の多が田になっています kanfuru3 2 years ago 2:06~いやいやその織田も間もなく滅ぶ、それも今年中にね・・・ jetpub888 2 years ago 正信って本能寺の変の前に戻って来てるの? 西嶋孝一郎 2 years ago 本能寺の変…家康暗殺疑惑に次は我が身❓️と疑心暗鬼をおぼえた信長家臣たちの乱だとおもってます。たまたま明智光秀に役回りがきただけにすぎません。 り り 2 years ago どうする家康のおかげでこっちの家康や家臣たちの評価が爆上がりしていく 星野暢仁 2 years ago それはあんたが山本勘助がだったから jyadhi96dagabaza 2 years ago 御父上様松平広忠公(近藤さん、確か、大河徳川家康で)。宿敵治部度(確か、黄金の日々) 織田真徳 2 years ago 漢字がちがうよ? 岩崎慎太郎 2 years ago 今の大河ドラマに期待するのは無理。松本潤に期待したら駄目。 yukun konnta 2 years ago これくらい信頼されて仲良かったら、忠勝たちは面白く無かったろうね。「現場で命張ってんのは俺たちだぞ!」って。 矢田拓馬 1 year ago 人というのは最初は生き残れば充分と考えるのにうまく行きだせばどんどん欲をかくようになるねぇ 黒騎士 1 year ago 史実の家康もこんな感じじゃないか?と思えて違和感がない。家康に限らず信長も「己が生き延びる」ため危ない橋を幾度も渡り必死に足搔いた結果が─地政学的な好条件と自身の幸運とが相まって─「天下人」に辿り着いてしまったに過ぎない。(←歴史小説と違って、信長でさえ家督を継いだ時点では、いつ滅亡しても不思議ではなく、生き残りのため常に綱渡りを強いられていて余裕が全く無かった) V JJ 1 year ago 諏訪の姫の呪いで武田が滅んだ rei rin 1 year ago 見返したり、思い出したりすると、こっちの方がよっぽどどうする!してる。本家のどうする家康は「どうした脚本」になってしまってる。Write A CommentYou must be logged in to post a comment.
川村壱馬、RIKU、吉野北人、アオイヤマダ、田中泯、ヴィム・ヴェンダース、役所広司、柄本時生、石川さゆり、三浦友和、川井田夏海、大塚剛央、津田健次郎 ほか/ 第36回 東京国際映画祭 レッドカーペット 2024-10-04
小野澤親 2 years ago 志村けんさんと高見沢俊彦さんが生まれたのはある意味では本多正信のお陰でもあります。志村けんさんの御先祖様は「志村又左衛門貞盈」と言って、武田四天王の一人だった山県昌景の右腕的家臣で、長篠の戦いで討ち死にした山県昌景の首を織田・徳川連合軍に奪われないように守りきりました。甲州征伐で武田家が滅亡した時に、山県昌景亡き後の山県家を代表して織田・徳川連合軍の元に降伏の使者として赴いたのが志村又左衛門貞盈で、その時に対応したのが本多正信でした。志村又左衛門貞盈は天正10年(1582年)4月より甲州九口之道筋奉行の一人になり、天正18年(1590年)の徳川家康の江戸への国替えに伴い八王子に移り、八王子千人同心の志村組の初代組頭になりました。高見沢俊彦さんの母方の御先祖様は江戸時代になってから志村組に加入しました。甲州九口之道筋奉行と八王子千人同心の創設にも本多正信が深く関わっていました。
黒騎士 1 year ago 史実の家康もこんな感じじゃないか?と思えて違和感がない。家康に限らず信長も「己が生き延びる」ため危ない橋を幾度も渡り必死に足搔いた結果が─地政学的な好条件と自身の幸運とが相まって─「天下人」に辿り着いてしまったに過ぎない。(←歴史小説と違って、信長でさえ家督を継いだ時点では、いつ滅亡しても不思議ではなく、生き残りのため常に綱渡りを強いられていて余裕が全く無かった)
23 Comments
新府城落武者が出るらしいね。20年前夜中に肝試しに行ったわ。
どうする家康?
志村けんさんと高見沢俊彦さんが生まれたのはある意味では本多正信のお陰でもあります。
志村けんさんの御先祖様は「志村又左衛門貞盈」と言って、武田四天王の一人だった山県昌景の右腕的家臣で、長篠の戦いで討ち死にした山県昌景の首を織田・徳川連合軍に奪われないように守りきりました。
甲州征伐で武田家が滅亡した時に、山県昌景亡き後の山県家を代表して織田・徳川連合軍の元に降伏の使者として赴いたのが志村又左衛門貞盈で、その時に対応したのが本多正信でした。
志村又左衛門貞盈は天正10年(1582年)4月より甲州九口之道筋奉行の一人になり、天正18年(1590年)の徳川家康の江戸への国替えに伴い八王子に移り、八王子千人同心の志村組の初代組頭になりました。高見沢俊彦さんの母方の御先祖様は江戸時代になってから志村組に加入しました。甲州九口之道筋奉行と八王子千人同心の創設にも本多正信が深く関わっていました。
いい役者さん
いいお芝居
大殿さま〜!
あ、これ龍馬伝じゃないのか😂
山本勘助…
北畠親房…
本田…?、本多。
この情けない風情の家康も悪くない。今年の家康はさすがにぶっ飛びすぎだが
近藤正臣さんの演技は素晴らしい。台詞のないところでの何気ない所作 の素晴らしさ。
本多正信という家康の右腕であり謀臣として食えない人物を見事に演じている。
本多の多が田になっています
2:06~
いやいやその織田も間もなく滅ぶ、それも今年中にね・・・
正信って本能寺の変の前に戻って来てるの?
本能寺の変…家康暗殺疑惑に次は我が身❓️と疑心暗鬼をおぼえた信長家臣たちの乱
だとおもってます。
たまたま明智光秀に役回りがきただけにすぎません。
どうする家康のおかげで
こっちの家康や家臣たちの
評価が爆上がりしていく
それはあんたが山本勘助がだったから
御父上様松平広忠公(近藤さん、確か、大河徳川家康で)。
宿敵治部度(確か、黄金の日々)
漢字がちがうよ?
今の大河ドラマに期待するのは無理。松本潤に期待したら駄目。
これくらい信頼されて仲良かったら、忠勝たちは面白く無かったろうね。
「現場で命張ってんのは俺たちだぞ!」って。
人というのは最初は生き残れば充分と考えるのにうまく行きだせばどんどん欲をかくようになるねぇ
史実の家康もこんな感じじゃないか?と思えて違和感がない。家康に限らず信長も「己が生き延びる」ため危ない橋を幾度も渡り必死に足搔いた結果が─地政学的な好条件と自身の幸運とが相まって─「天下人」に辿り着いてしまったに過ぎない。(←歴史小説と違って、信長でさえ家督を継いだ時点では、いつ滅亡しても不思議ではなく、生き残りのため常に綱渡りを強いられていて余裕が全く無かった)
諏訪の姫の呪いで武田が滅んだ
見返したり、思い出したりすると、こっちの方がよっぽどどうする!してる。
本家のどうする家康は「どうした脚本」になってしまってる。