23 Comments

  1. 志村けんさんと高見沢俊彦さんが生まれたのはある意味では本多正信のお陰でもあります。
    志村けんさんの御先祖様は「志村又左衛門貞盈」と言って、武田四天王の一人だった山県昌景の右腕的家臣で、長篠の戦いで討ち死にした山県昌景の首を織田・徳川連合軍に奪われないように守りきりました。
    甲州征伐で武田家が滅亡した時に、山県昌景亡き後の山県家を代表して織田・徳川連合軍の元に降伏の使者として赴いたのが志村又左衛門貞盈で、その時に対応したのが本多正信でした。
    志村又左衛門貞盈は天正10年(1582年)4月より甲州九口之道筋奉行の一人になり、天正18年(1590年)の徳川家康の江戸への国替えに伴い八王子に移り、八王子千人同心の志村組の初代組頭になりました。高見沢俊彦さんの母方の御先祖様は江戸時代になってから志村組に加入しました。甲州九口之道筋奉行と八王子千人同心の創設にも本多正信が深く関わっていました。

  2. この情けない風情の家康も悪くない。今年の家康はさすがにぶっ飛びすぎだが

  3. 近藤正臣さんの演技は素晴らしい。台詞のないところでの何気ない所作 の素晴らしさ。
    本多正信という家康の右腕であり謀臣として食えない人物を見事に演じている。

  4. 本能寺の変…家康暗殺疑惑に次は我が身❓️と疑心暗鬼をおぼえた信長家臣たちの乱
    だとおもってます。
    たまたま明智光秀に役回りがきただけにすぎません。

  5. どうする家康のおかげで
    こっちの家康や家臣たちの
    評価が爆上がりしていく

  6. 御父上様松平広忠公(近藤さん、確か、大河徳川家康で)。
    宿敵治部度(確か、黄金の日々)

  7. これくらい信頼されて仲良かったら、忠勝たちは面白く無かったろうね。
    「現場で命張ってんのは俺たちだぞ!」って。

  8. 人というのは最初は生き残れば充分と考えるのにうまく行きだせばどんどん欲をかくようになるねぇ

  9. 史実の家康もこんな感じじゃないか?と思えて違和感がない。家康に限らず信長も「己が生き延びる」ため危ない橋を幾度も渡り必死に足搔いた結果が─地政学的な好条件と自身の幸運とが相まって─「天下人」に辿り着いてしまったに過ぎない。(←歴史小説と違って、信長でさえ家督を継いだ時点では、いつ滅亡しても不思議ではなく、生き残りのため常に綱渡りを強いられていて余裕が全く無かった)

  10. 見返したり、思い出したりすると、こっちの方がよっぽどどうする!してる。

    本家のどうする家康は「どうした脚本」になってしまってる。

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