低迷期、コロナ…そして寮を飛び出した
しかし、いざ入学してみると、部の雰囲気が期待とはかけ離れていた。当時、チームは低迷期に入っていて、箱根駅伝も2年連続の予選落ち。強豪校で揉まれてきた菊地にとって、練習はぬるくさえ感じられたという。
「自分がもっと練習をしたいと思っても、チームはそうじゃなかった。しかも、入学した年はちょうどコロナが流行りだした頃で、思うように練習できなかったのが辛かったです」
大学へも通えず、練習も集団ではできなかった。トレードマークの笑顔はマスクの下に隠れ、伝えたい思いは行き場を失って声にならなかった。「もう陸上を辞めたい」。そう思い、大学の寮を出て、実家へ向かったのは2年生の夏の終わりだった。
今年の箱根駅伝5区、シード権を争う順位を走っていた法政大学と大東文化大学の選手がゴール後、交わした抱擁が話題となった。法大の細迫海気(4年)と併走し、区間4位で大東大の9年振りシード権獲得に貢献した菊地駿介(4年)に後日、話を聞いた。