NHK大河ドラマ!光る君へ第12話「思いの果て」藤原実資と紫式部の縁談は終盤への超伏線ロングパス!このシーンがドラマ終盤のとても重要なシーンだという理由をお話をしたいとおもいます。
第12話でまひろと結婚する藤原宣孝のぶたかを演じる佐々木蔵之介さんが、まひろに縁談の話をもちかけてその相手がロバートの秋山竜次さん演じる藤原実資で、実資はちょうど赤痢にかかってしまい、この縁談は実現しませんでしたがこのシーンがドラマ終盤のとても重要なシーンへとつながっていきます。
藤原実資の生涯は
957年10月13日生まれ
道長の先輩格で、藤原小野宮流(おののみやりゅう)の当主でした。小野宮流とは、平安時代に始まった有職故実(ゆうそくこじつ/政治や儀式のしきたり)に詳しく学識があり正義と筋道を重んじると同時にプライドが高い頑固者でもったといわれています。道長とは対立関係にあり、道長は実資を尊敬しつつも煙たい存在だったといわれていましたが、実資は朝廷で3番目にえらい右大臣まで昇進し「賢人右府」(けんじんうふ)と呼ばれ1046年2月26日まで90歳という長寿をまっとうし老衰で亡くなっています。
家系:
祖父:藤原実頼/さねより(摂政・関白)
父:藤原斉敏/ふじわらのただとし(参議)
で道長とは「はとこで」あり
妻は源惟正女(みなもと の これまさ の むすめ)
結婚の時期は天延元年(973年)か天延2年(974年)頃で、実資が17-8歳のころであったとされる
2年後の985年には一女を出産していますがその翌年986年5月8日死去。さねすけは。忘れ形見であるこの娘への寵愛ぶりは実資の日記『小右記』しょうゆうき、の随所にも記されていますが、病弱で990年に6歳で他界しています
人物像:
正義感と責任感の強い人物
学問にひいでて、有職故実(ゆうそくこじつ)の権威もあり
道長に屈せす、自身の信念を貫き長寿をまっとうし晩年は尊敬を集める人物です
なぜこのさねすけとの出会いが後半の+重要な鍵を握っているのか
この実資に藤原宣孝、まひろを非常に才女なのでおそばに置いていただけないかと、お願いに行くわけですが、そのときに巻物に「枕絵」をいれて渡しました。枕絵というのはいまでいう、現代のヌード写真のようなもので、当時天皇家などでも性教育の資料として使われていたそうです。ところが実資は、987年に赤痢にかかってしまい、約1ヶ月ほど療養をしたと実資の日記「小右記」にも書かれています。縁談については、小右記にも、紫式部日記にも書かれていませんので、史実ではないとおもわれますが、のちに、実資とまひろがドラマ後半で再開して、重要な関係になっていく、大河ドラマ得意の伏線(ふくせん)ロングパスではないかとおもわれます。
実資とまひろがいつ、どのような形で再開したかは、ドラな後半で、冷泉天皇の息子、三条天皇と道長が対立状態になっていき、その間に入っていたのが道長の娘で、一条天皇の妻の藤原彰子(しょうこ)だといわれています。そして彰子と同時にさねすけも間に入るようになり、彰子(しょうこ)のところを、度々さねすけが訪れるようになるそうなんです。
その彰子と実資の取次役として、彰子のそばでお世話をしていた、紫式部、まひろが、実資と関係を深めて行くわけなんですが、実資の日記にも、紫式部日記にもそのことが書かれていって、結果二人は結婚などにはいたりませんでしたが、まひろはこの頃は道長への思いは覚めていたとみられ、実資とソウルメイトして深い関係に発展していったのかもしれませんが、この様子をドラマではどのように描かれていくのかが注目されています。
2 Comments
超重要な情報ありがとうございます🎉
さねちゃん、ナイスメターン🤓