修道中学校・修道高等学校  広島市中区南千田西町8−1   #広島 #広島市 #修道 #男子校 #広島藩 #藩校 #講学所 #修道館 #廃藩置県 #私立浅野学校 #中庸 #部活動 #体育祭 #文化祭

修道中学校・修道高等学校  広島市中区南千田西町8−1   #広島 #広島市 #修道 #男子校 #広島藩 #藩校 #講学所 #修道館 #廃藩置県 #私立浅野学校 #中庸 #部活動 #体育祭 #文化祭  20240916 2   @akibingo

修道中学校・修道高等学校(しゅうどうちゅうがっこう・しゅうどうこうとうがっこう)は、広島県広島市中区南千田西町に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。

私学で藩校(広島藩「講学所」、1725年)を起源とする数少ない学校で、学校としては国内屈指の歴史をもつ。

概要

渡り廊下(2022年に解体)
1725年(享保10年)に広島藩第5代藩主浅野吉長が設置した藩校「講学所」を起源としている。広島藩校は「講学所」「講学館」「学問所」と校名を変えながら続き、1870年(明治3年)、第12代藩主浅野長勲が城中八丁馬場へ移して「修道館」と称した。これが現校名の由来となっている。

広島藩校が起源の学問所が私立学校となったのは、廃藩置県(1871年)により休業となったのち、1878年(明治11年)6月、浅野長勲が「修道館」を継承し泉邸内に設立した「私立浅野学校」による。

1881年(明治14年)11月「修道学校」、1905年(明治38年)4月「財団法人私立修道中学校」、1907年(明治40年)1月南竹屋町へ移転、1926年(大正15年)3月南千田町に移転(現校地)、1947年(昭和22年)4月新制「修道中学校」、1948年(昭和23年)5月新制「修道高等学校」となり、現在に至る。

「修道」の名は、四書の一つ『中庸』の「修道之謂教」(道ヲ修ムル之ヲ教ヘトイフ)の言葉に基づく。

建学の精神は「道を修めた有為な人材の育成」である。教学目標は「知徳併進」であり、その実践に向けた心得として「尊親敬師」「至誠勤勉」「質実剛健」を掲げている。

2000年に校舎の新築工事を開始し、2003年に終了した。正門から一番に見える渡り廊下(右写真)は、旧校舎時代のものをそのまま現校舎に残したものである。2010年に総合体育館が完成した。

多彩な分野にリーダーを輩出し、特に政界、官界、財界、医療界で活躍する卒業生が多い。

60分授業であり、一般の学校でいう部活動は「班」活動と呼ばれる。

学校行事も多彩である。6月下旬に行われる体育祭、10月下旬 – 11月上旬の文化祭(文化祭は「〇〇〇年祭」と創立からの年数を表した名称となる(例えば2023年度は298年祭)。これは創立記念日が11月4日であるため)に加えて宿泊行事がある。数々の集団行事は重要な学びの場であり、「自治向上の精神」の育成に欠かせないとしている。

現在の校長は田原俊典(第20代)。10月中旬にはオープンスクールが催されている。

教育理念
「知徳併進」
1905年(明治38年)、私立修道中学校(旧制)が設立された時に定められた。
急激に文明開化が進んだがゆえに、知識偏重に陥った明治という時代に対して「学問の精神は物知りだけではいけない、人間器量の大成でなくてはならぬ(修道学園史より)」という強い主張が込められている。
創立時の広島藩「講学所」では、藩の将来を担うことのできる、教養と礼儀を身につけた、志の高い人を育てることを目指していた。
校風
生徒の行動を規定する校則を設けておらず、自由な校風である。

「自治向上の精神」は、「責任ある自由」とも言い換えている。行動の主体はあくまでも生徒とし、教員はスポーツでいう「コーチ」のような存在として、他者との関わり自らが考え行動することで真の主体性を備えた人間を目指している。

また、質実剛健な校風でも知られ、快活でバンカラとも評される。

オーケストラや観劇などの芸術観賞など、多彩な全人教育が行われている。近年はグローバル教育やICT教育にも力を入れている。

制服
初級(1年・2年)、中級(3年・4年)、上級(5年・6年)ごとに制服形態が決められており、学年が上がるにつれて着こなしの幅が増え、緩くなる。中級ではネクタイと靴の着用が任意で、上級では私服の着用も可(ただし、式典等では制服着用が義務付けられている)。

袖口に白い線が入っているのが特徴的で、修道生のシンボルとなっている。これは、戦時中、避難する際に他校の生徒と区別するために付けた白線が起源である。2003年度より制服のデザインが変更され、濃紺金ボタンの学生服からブレザーになったが、伝統の袖口の白線は残された。デザインは小野塚秋良。

入学年度によって異なる緑・黄・赤・白・金茶・青の6色の学年色があり、卒業まで同じ色が割り当てられる。バッジやシャツのロゴは学年色のものを付けて学校生活を送る。卒業後には『~期赤バッジ』などと表現される。

班活動
部活動は「班活動」と呼ばれる。「文化班」「運動班」のそれぞれに各班が所属する。

サッカー班は戦前に4回全国大会に出場し3位1回と準優勝1回、戦後はインターハイに6回出場し2回優勝、国体には8回出場し4回優勝している。ワンダーフォーゲル(登山)班はインターハイの常連で6回優勝している。また、陸上班も国体優勝、世界ユース選手権3位などの実績がある。水泳班は戦前に競泳の全国大会で総合優勝3回、戦後になってからも競泳のインターハイで総合3位、リレー準優勝、個人優勝あり、さらに水球競技ではインターハイで優勝2回、準優勝1回、国体で優勝2回を経験している。柔道班は国体で準優勝4回。テニス班、ハンドボール班も全国大会の常連で、国体3位、インターハイ3位の経験がある。国体の馬術競技で優勝した者もいる。近年、少林寺拳法同好会が全国大会出場するなどの実績から班となり、班活動となった後も個人戦と団体戦とそれぞれ全国大会出場を果たしている。

文化班においては、吹奏楽部に当たるスクールバンド班が全国大会に多く出場し入賞経験もあり、毎年夏に広島文化学園ホールにてサマーコンサートを開催しており、毎年多くの観客が訪れる。囲碁班、将棋班も全国大会の常連であり、将棋班は団体優勝している。書道班は全国優勝に該当する文部科学大臣賞を多数回受賞している。放送班はNHK杯全国高校放送コンテストで準優勝している。

運動班は水泳班、ワンダーフォーゲル(登山)班、ハンドボール班、剣道班など18班あり、文化班は将棋班、囲碁班、天文班、スクールバンド班、鉄道研究班など、18班ある。他に同好会も存在する。

サッカー班、水泳班、陸上班からは山縣亮太ら6名のオリンピックメダリスト、8名のオリンピック日本代表選手を輩出している。将棋班はのちに史上初の東大生プロ棋士となった片上大輔を、放送班は福井謙二、山中秀樹などのプロアナウンサーを輩出している。

入試
中学入試では、約280名の募集に対し、例年1000名前後が受験する。広島県内で最も多くの受験生を集める中学校である。以前は高校入試も100名以上の募集があったが近年は10名程度となり、完全中高一貫に近付いている。修道中学からの内部進学者は「修生」、他中学からの入学者は「新生」と呼ばれたが、現在はそのような風習は薄い。なお教育内容は変わらず同じクラスで学ぶ。

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