若い頃は2枚目俳優であり、後年は渋みを増したヤクザ役などが、よく似合った俳優さんであった。

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  1. 田中角栄とのエピソードにはそれほど驚かなかった(← むしろ、よくやった、鶴田!と拍手してやりたい)が、昭和天皇の園遊会を拒絶した件は耳(目)が信じられなかった。

    鶴田は天皇のために死のうとした特攻の生き残りで、天皇を心から崇拝していたのではなかったのか。

    鶴田には鶴田の(戦友への)鎮魂の思いがあったのだろう。

    鶴田は「昭和最後の俳優」とも「背中で演技できる唯一の役者」だとも言われた。

    彼ほど戦争を引きずって生きてきた男はいないであろう。

    バックから撮った鶴田の背中はいつも悲壮感漂う自然体で、悲しく泣いていた。

    そう言えば、小沢茂弘監督「博奕打ち」の惹句は「哀愁の背中男、主演:鶴田浩二の背中」であった。

    鶴田浩二のような稀有な俳優はもう二度と日本映画界に現れないだろう。

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