【平成最強の剛腕①】松坂大輔がカッコよすぎてヤバい!日本を背負った男の物語
今回の動画では松坂がアメリカに渡るまでの
野球人生を振り返っていきたいと思います。
松坂がどのように平成の怪物となり、球界のエースとなったのかを
少しでも知れる動画にしていきたいと思いますので
歴史の1ページを振り返る準備ができた方はご一緒にどうぞ。
0:44 平成の怪物爆誕
9:46 衝撃のプロデビュー
15:18 故障と復活、WBCMVPそしてメジャーへ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
著作権について
YouTube公式ガイドライン参考
【画像/動画引用について】
当動画は著作権を侵害する目的はなく
音声による説明や紹介をメインに作成しており
そのための『引用』として使用しています。
36 Comments
いち
東尾が監督じゃなかったら、松坂は西武に入団後していなかった‼️
松坂でも200勝は遠かった
次は多田野のホモビデオ解説動画を投稿して
松坂の時は、中嶋聡‼️
バケモノですよね松坂大輔さん!
松坂3年夏の甲子園準々決勝から決勝までの3戦はまさに伝説。
準々決勝延長17回250球投げきった後疲労困憊で夜食事が喉を通らなかったらしい。
そもそも甲子園であんなに投げててプロ入り3年連続最多勝はまさに怪物ですね。
11:36
片岡篤史「また擦りよったな」
2年夏の暴投時のキャッチャーは上地さんじゃないですよ!怪我で出てないはずです。
今では珍しくないが、松坂が甲子園で150キロ出した頃はプロでも150キロ出せる先発投手は伊良部ぐらいで、その伊良部もメジャーに行って日本にはいなかった。
つまり高校生なのに日本一のスピードボールを投げる投手だったのだから注目されないわけがない。
プロ一年目であれだけ活躍出来たんだから、甲子園で優勝するのは当たり前だった。
しかし後に暗黒時代に突入する横浜に入団しなくてよかった。
松坂さんのプロベストゲームは日本最終年のプレーオフ第1戦、斉藤和巳投手と投げ合って1対0で完封した試合だと思っています。その年は終盤身体が万全ではなくてタイトルを斉藤投手にほぼ取られてしまいましたが、最後の絶対に負けられない戦いでライバル、ソフトバンクのエースとの投げ合いを制したのは本当に痺れました。
二年の負けた試合のキャッチャーは同い年の小山さんだった気がします。
全盛期の松坂投手と現在の大谷選手の対戦見てみたかった。
今でも凄いと思うのが、あの夏の甲子園での対決、PL学園対横浜ですかね🤔🤔
14:54 松坂唯一の沢村賞が“酷使に耐えてよく頑張ったで賞”だったのは何とも言えんよな
新人から活躍してる印象で先発完投が当たり前だった選手
高卒1年目の出来上がり具合は日本プロ野球史上最高や
名勝負製造機なんだけどシーズンじゃ大事なとこで悉く打たれてたイメージ。でも代表では滅法強かったから日本のエースは松坂、西武のエースは西口と言われた。
上地は出てないぞー🙄
2年夏準決勝の相手は横浜商大ではなく横浜商業では?
国際大会において絶対勝たないといけない試合は松坂大輔さん、絶対負けられない試合は上原浩治さんと上手い具合に役割を分担する絶対的なWエースとして機能してたよね
😅😅😅😅😅
甲子園、NPBで酷使されたことが故障に繋がったというのもあるんだろうけど、五輪やWBCで無理をして投げたというのも原因の一つではあるんだろうな
日本のために投げ続けてくれた人を怪我で投げられないからといって批判することは誰にもできない
批判していいのはレッドソックスのファンだけだ
4:50 この時の捕手は上地ではない。
エースってこれなんよー
商大じゃなくY高校だよ
2004年の西武の日本一は22年振りではなく12年振り
ルーキーイヤーはロッテの黒木投手との投げ合いがやたら多いイメージ。登板の試合は軒並み満員御礼の試合が多くチケットがなかなかとれなかった。自分は9月にチケットとれて観戦した試合では初めて伊東捕手とバッテリーを組んだ試合で確かこの年の1試合の最多奪三振の試合だったと記憶してます。日本ハム戦で試合も勝ったし
密かに伊東捕手の意地をみたような試合でもあったかな。
そこまでは中嶋聡捕手とバッテリー組んでたんでね😊
5:43
選抜に予選はありませんよ。
高2の夏の準決勝の相手は横浜商大ではなく、Y高と言われる横浜商業高校です。
アメリカンノックマジで地獄でしたね
2度とやりたくない
高校最後の年とプロ入団してからの酷使が無ければもう少し活躍出来たと思う🤧
東尾がもう少し気遣って育ててくれてたらなぁと思います💦
松坂プロ入りの年は、パは松坂セは上原とかいう新人の成績じゃ無い奴がいのおかげで
他の選手の新人王争いが無理ゲーすぎて可哀想やった
CS
斉藤和巳との投げ合いで1-0で勝ち
印象に残ってる
あれ?上地ケガしてベンチにいたはず