#どうする家康 #安土城 #本能寺の変 安土城に登城した日。懐かしい。安土城天主跡に雹(ひょう)が降ってきた!雹(ひょう)が顔にあたって、痛かったなぁ~。今回も出た、天正十年安土御献立。その料理の仕方。信長と光秀の謀議の存在、口滑らせたことに、激怒した、という新解釈!斬新でした。
織田信長、徳川家康、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)、そして、明智光秀。麒麟がくる?麒麟はこない?どっち?
さて。東京、猛暑日!暑いぜ。。。

第27回「安土城の決闘」あらすじ
 京の本能寺で織田信長(岡田准一)を討つ計画を家臣たちに明かした徳川家康(松本潤)。並々ならぬ家康の決意に、家臣たちの意見は賛成と反対で真っ二つに割れるが、酒井忠次(大森南朋)は、家康の決断を信じようと家臣団を諭す。
 やがて家康たちは信長に招かれ、安土城へ。だが酒宴の席で、家康は供された鯉が臭うと言い出した。信長は激高(げきこう)し、接待役の明智光秀(酒向芳(さこう よし)を打ちのめし、追放する。その夜、信長と家康は2人きりで対峙し・・・。

[年表]
天正10年
5月7日 家康、兵糧8000俵余、家中に分配。
5月11日 信長、阿波国、織田信孝に与えた。信孝、出陣。この日、住吉に到着。四国に渡海する船の手配。半ばまで終了。
5月11日 家康、安土に向かって、浜松、出発。穴山梅雪も、同行。
5月14日 家康と穴山梅雪、近江の番場(ばんば)に到着。丹羽長秀が仮館、建てて、一晩、接待。
5月15日 家康、番場、出発。安土に到着。宿舎、大宝坊。接待役、明智光秀。17日まで3日間に及んだ。信長公記。「天正十年安土御献立」。
5月17日 明智光秀、安土から坂本に帰城。
5月18日 信長、自ら、家康、及び、家康の家臣にも、御膳据えた。多聞院日記。
5月20日 家康、穴山梅雪、石川数正、酒井忠次ら江雲寺御殿で接待。『信長公記』
5月21日 家康、安土、出発。京に向かった。
5月26日 明智光秀、坂本出発。丹波の亀山城に入城。
5月27日 明智光秀、愛宕山に参詣。一夜参籠。
5月28日 明智光秀、西坊で連歌の会。愛宕百韻。丹波の亀山城に帰城。
5月29日 家康、梅雪、堺に到着。堺代官・松井夕閑の接待受けた。
5/29(翌日が6月1日) 信長、上洛。宿所、本能寺。
6月1日 夜、明智光秀、反逆、企図。
6月1日 家康、梅雪、堺の今井宗久らと茶の湯。夜、松井夕閑邸で、茶の湯などの接待受けた。
6月2日 未明。本能寺の変。織田信長、享年49。織田信忠、享年26。

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