『3.11から明日へ』と題して5日連続で震災企画をお届けしていきます。
岩手県陸前高田市の及川佳紀くん(19)が津波で両親を失ったのは、9歳の時でした。
お父さんが見つかった時、一度だけ泣いた佳紀くん。それ以来、人前で涙を見せることはありませんでした。ただ、両親の話をすることもなくなりました。
佳紀くんが心待ちにしていたのが、地元の『七夕まつり』です。地区ごとの山車が美しさを競う陸前高田の夏の風物詩で、そこにはお父さんの姿もありました。山車の上で太鼓をたたく姿は、佳紀くんの憧れでした。
山車の半分以上は津波で流されました。それでも2011年、街の再生をかけ、祭りは行われました。あこがれの山車に初めて上れた佳紀くん。短冊に書いた願い事は「七夕がつづきますように」でした。
大規模なかさ上げ工事が始まり、新しい街づくりが本格化したころ、佳紀くんは中学生になりました。
このころ、佳紀くんに転機が訪れました。塾講師の照井善博さんとの出会いです。照井先生は佳紀くんの心の揺らぎを見逃しませんでした。
照井善博さん:「最初会った時には、目の焦点が定まらなかった。情緒が安定していない感じ。このままじゃだめだと。まずしっかり目を覚ますところから。勉強よりもそっちが大切」
だからこそ、あえて厳しく語りかけました。
照井善博さん:「『津波に両親が流されたことを受け入れろ。もう親はいないんだから、頑張ってやっていくように』ということは本人に直接言いました。過保護にしないように。『だから頑張れ』と。それから、ある時、ハッと目が変わった」
佳紀くんはそれから、苦手だった勉強にも取り組み、地元の志望高校に見事合格。毎年の祭りにも自ら準備に加わります。そして、新たな市街地での初めての祭りの中心には、佳紀くんの姿がありました。
2020年春に高校を卒業し、仙台で初めての一人暮らしを始めたた佳紀くん。今回初めて、当時の思いを語ってくれました。
及川佳紀くん:「前向きになれないのが数年続いた。その状況が嫌で、現実逃避しまくってた。2人の死に顔見てないし、見たのは骨だけ。本当なのかなって信じられなかったのもある。自分でごまかして、ごまかして、これで泣くのを終わりにしようと思った。色んな感情を忘れるためにふさぎこんだのかな」
佳紀くんは今、リハビリなどの手助けをする『作業療法士』になるため、専門学校に通っています。お母さんと同じ、福祉の道を志すことにしました。
及川佳紀くん:「引きずっててもどうにもならないし、だったら楽しもう。後ろばっかり向いてたら後ろに行って、前向きなこと言ったら前に行く気がする。自分が楽しまなきゃ、生きてるんだから楽しまなきゃって多分そう思った」
復興へ歩んできた故郷・陸前高田に今思うこと。
及川佳紀くん:「景色は変わっても高田は高田。変わらないものも、変わっていくものもある。高田だったら七夕、それは絶対変わらない。人柄も変わらない気がする。高田が好きだから帰ってきたいだけ。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
44 Comments
す
先生全く変わらなくてびっくりした笑笑
地元が好きっていいことやね
幸せになってほしいです。
よしきくんの成長姿が14分に凝縮されてるから、その淡々と年が変わって成長していく姿に追いつけなくてギャップを感じてしまうw
どうか幸せであふれる人生になりますように…
人として接してくれた先生。
9歳の子供が19歳になるくらい時が流れたことに衝撃を感じました。。私はあの地震があった時東京にいて、テレビで津波がくる様子をみていました。あの地震からしばらくは日常の生活が戻らなかった事、今でも覚えています。どうかこの子供達が健やかに育ちますように。
お父さんお母さんほんと嬉しいだろうな。。
亡くなったとしても、せめて一回くらいは会って喋らせてほしいよな
両親が両足に見えた
13:00 生きてるんだから楽しまなきゃ
とても心に刺さりました
4:14 これ程心に来る映像が他にあるか?涙が出てくる
ただ一つ気になったのはもうそこに町を作っちゃダメなんじゃないかな
津波が来る場所だと後世に伝えて人は住まない
どうなんだろ…10年後100年後、来年明日一時間後同じ地震が起こるかもしれないんだから人は住んじゃダメなんじゃないかな
よしきさん、仙台へようこそ。
県は違いますし私は周りの方々を亡くしていませんがそれでも十分に辛く、怖かった出来事でした。
福祉の道、素晴らしいです。よしきさんはよしきさんの道をお進み下さい☺
お父様やお母様も天国で温かく見守ってくださってますよ
私の息子が今9歳です。
もし私と旦那が亡くなったら…息子はどうなってしまうんだろうって想像したら、とても悲しくなりました。
佳紀くんは今までよく耐えて頑張ってきたと思います。
私が子供だったらたぶん耐えられない。
これからの人生、幸せになって欲しいと思います。
両親がいない人生は考えられない
俺よりも一人前の大人になるんだろう
自分は年齢を重ねるが、親は39歳のまま年齢を重ねない。いつの間にか親の年齢を追い越す不思議。
人生まだまだ先70年。早くして家族を亡くしたとしき君の芯の強さに頭が上がりません。
お父さんもお母さんも喜んでるとおもいます。
尊敬って言葉しかないです。
ナレーションの花澤香菜さんの声、さすがです。泣きそうです…
子供は凄いなぁ、もっと大人も頑張らないとね、、、情けない、、、
この先生との出会いはご両親がしてくれたんだろうな。
花澤香菜やん
「大人になったな」って嬉しい言葉だよ
ワア~!綺麗な七夕🎋祭り!貴方は、これだけの辛い思いを乗り超えて来たから、すごく強くなったよ!思いやりも、優しさも、出来たよ!若いうちの苦労は、買ってでも、しろ!って、諺があるのよ!もう、貴方は、なにがあっても、だいじょうぶ!明るく生きる強さを持った!
ほんとに逞しく強いな
泣いた
お父さんとお母さんは
よしきを助けてください。お願いします。って神様にお願いしにいったか…
日本中のみんなとご両親があなたの味方ですよ。
辛いときは泣いていい、いつでも前向きになれとは言わない。
どうかご両親が残してくれた大切な命、最後まで大切にしてくださいね。
この子たちが体験してきた壮絶な想いに比べたら・・
私たちが今まで、普段何気なく抱えてきた問題って、
結局、なんだったんだろうな・・って自問自答してしまう。
強いなぁカッコイイ
泣けました!弟さんのも拝見しました!
2人ともよく頑張ったと思います!
逞しくて、本当に幸せになってもらいたいです
立派な作業療法士になるよ、
よしきくんのおかげで生きる糧になりました。
生きているなら楽しまないと。
その通り、其方がご両親も喜ばれるますよ。
岩手県大槌町出身です。震災の日は息子の誕生日で夕方18時までは楽しく過ごしてました。いままでの中で1番ビールが不味かったし、頭が真っ白で何も考えられませんでした。震災2日目に地元帰りました。悪い夢だったいいのにと…思いながら帰りました。現実は酷く故郷が無くなりました。群馬に家族がいますが、自分だけ楽な思いするから帰りたくなかったです。1ヶ月いましたが、何もできませんでしたし、親父から言われた言葉が今でも思い出します…おまえ、いつまでこんなとこにいるんだぁ!お前の今やる事は奥さん守り、1番近くで子供の成長を見守るのが役目だと…大人の自分でもこんな感じなのに、本日に素晴らしい息子さんです。本日に幸せな人生送ってほしいです。
家族を亡くしたんだから、早く自分の家族を作って下さい。
素晴らしい先生ですね。
及川兄弟さん、がんばって生きていきましょう!大変偉い仕事にチャレンジしていますねぇ?ソレもご両親のおかげかな?がんばって下さいねぇ?
花澤香菜さんだわ
本当に素敵な好青年に育ったんですね。
お婆ちゃんを始め周りの大人たちが優しく寄り添ってくれたからこそ立派になられたんだと思います。
まだ小さい頃から両親を失い
たくさん苦労されましたね。
よしきくんどうかこれからの人生
人の何百倍も幸せになって下さい。
イケメンだな
9歳で現実に目を背けるのはおかしいことじゃないよな。
むしろこの子は強い子だ。
この子は強く逞しく育ったね。これからきっと幸せな人生を自分の力で切り拓いて行くんだろうね。
立派に育ちましたね。なんて逞しい方だろう。
私も両親がいなく、祖母に育てられたので家庭環境が似ているなと感じました。
ご両親も無念だろうね。兄弟2人、本当によく頑張った。